「台湾の台南ってところでゲストハウスを営んでいます!!台南(はむ家)の日常編」っていう記事に登場する初めて出会った東大生の二人。
そのうちの一人であるサブローは、その後も深く深く『はむ家』と関わり『はむ家』の礎作りに大きく貢献することになるので、その彼との台南生活について物語ってみたいと思います。
本人の許可は取っていないので、大丈夫だろうかという気がしないでもないのですが、何とかなるだろうというか、けっこう喜んでくれるだろうという良い期待の方を胸に、張り切って語りたいと思います〜^ ^
サブローとの出会い

向かって左側がサブロー^ ^
2013年9月20日、その出会いは突然やってきた。
というか、予約無しの飛び込みでやってきただけなんですけどーーー!でも、でも、運命の出会いには間違いない!!たぶん・・・
以下、下のやつをご確認↓↓↓↓↓
この時に彼は「日本のバイト先でデザインしたラベルの貼られた食器洗剤が売ってるのを見付けました!」と言って、その食器洗剤を握りしめていたのであった。
その嬉しそうな顔といったらありゃしなかったので、今でも記憶に残ってしまっている。
そして、その食器洗剤は今でも『はむ家」に残っているのであった。

たかが食器洗剤、されど食器洗剤^ ^
なぜこんなものが未だに残っているのかは、俺にも分からない・・・。
なぜだぁーーーーーーーーーー!!??!!??
そもそもなぜサブローと呼ばれているのか!?

3月にまた来るぜ!!byサブロー^ ^
その年の12月にも彼はやって来た。あと10日で年も明けるであろうという時に来て、年明け前に日本に帰るらしい。
そして途中、中抜けで香港に行き、クリスマスをあっちにいる女の子と過ごすのだという・・・国をまたいでのスケベではないか!彼はーーー!!
*
という話は置いておいて、サブローと出会う前に『はむ家』の留守番をお願いしたりしていたナイスガイがいた。なかなかの面白い若者で、彼がすでに「はむジロー」と名乗っていた。
そうです。俺が「はむタロー」、そして兄弟になろうということで「はむジロー」になった。ヤクザも真っ青の兄弟仁義である(^^)
その12月の時にジローから、
「アニキ、こいつ、なかなかいいヤツなんで、サブローと名乗らせてもいいでしょうか?」
という申し出があった。
ということがあり、台湾ビールで兄弟の杯を交わすとともに彼は晴れて「はむサブロー」に襲名したのである。
そういう男気のある話で彼はサブローと呼ばれるようになったのだ!
実に、実にいい話だ。きっと・・・。
*
そして話を元に戻すと、サブローは香港に行ったのだが、その女の子とは単なる食事で終わってしまったと・・・
そのショックからか「来年は東大を1年休学して台南に来ます!」と張り切って言い出したではないか!!
「オーマイガット!」と言っていいのか、「東大生あっぱれ!」と言っていいのか、ワケが分かんなくなってしまったが、「とにかく飲もうぜ!!」という年の瀬の夜でした。
そんなサブローは年が明けて、その3月にめでたく台南に戻って来るのでありました〜〜〜
東大を休学して・・・
サブローはとっても人気者

サブローを探せ^ ^
このサブローくん、東大生のくせに全くお堅いところがない。むしろふにゃふにゃ・・・とても人当たりが良く、人付き合いも良く、口もうまく、もうなんと言っていいのか最高学府にいているとは思えないほどのナンパである。
そして前述の食器洗剤のラベルをデザインしたように、子供のようになんでも作り出してしまう芸術家肌?なのである。
そしてやっぱり脳の性能は人並みを外れているようだ。
成功大学の語学センターで中国語を6ヶ月間学んだのだが、それでペラペラになってしまったのだ!!
そんな感じなので、彼の周りには人が増えていく。
『はむ家』のゲストしかり、台湾人の男の子、台湾人の女の子、すべての人気を彼はかっさらっていく。
そしていつもワイワイガヤガヤ彼の周りは賑やかだ(^^)
でも、俺は知っている。彼は意外と一人の時間が好きな孤独を愛する男であることを・・・
サブローは東大の都市工学科にいたらしい

『はむ家』に置き去りの卒論の模型(^^)
都市工学というものがどういうものかよく分からないのだが、建築というものと深く関わりがあるらしく、建設現場出身の俺とはよく話が合った・・・と思い込んでいる。
しかし我々は一つの現場で一つのものを作り上げる方、彼はその一つ一つを繋ぎ合わせての街づくりを考える方らしい。それとも街づくり全体から一つ一つの建物を考えるのか・・・。
どっちにしても、まあそんな感じだろうと思うのだが、彼は卒論のテーマを台南の街づくりにしたらしい。それも『はむ家』周辺の街。
そして、その卒論は日本の大学生の中で一番になったとかならないとか・・・
そして、台南の成功大学でもその論文の発表したとか・・・
そして、なぜかその模型が『はむ家』にある・・・。
なぜだぁーーーーーーーーーー!!??!!??
分からないことだらけだ・・・。
そして彼は昨年の暮れに来たのだが、その模型には目もくれなかった。
ここは俺が大事にするしかない!!
のだろうか・・・!!??
もうなんでもよくなってきた・・・。
サブローが世界一周に行っちゃった件

世界一周へ旅立つサブロー^ ^
台南生活も半年に近づいてきた頃から、お金を用意しなければと何やら怪しいことを言い始めたサブローくん。
どうやら半年分の資金しか見てなかったらしい。
そうこうしているうちに「俺の後半年の台南生活はこれにかけるしかない!」と、文科省の留学助成制度を見つけ出してきた!!
どういうことなのかというと、最近若者の外国離れを懸念して、大学生を対象に半年間の留学費用を助成するという制度らしい・・・。
サブローがアッタクする制度は、自分で留学のプランを企画して、その企画が合格すれば助成してくれるらしい・・・。
なんだかすごい制度だ。
うる覚えだが、彼の企画は台南の街づくりを台南に住みながら調査し、そしてついでに3ヶ月かけて世界の国々の街も見て回るという、なかなかふざけたものであった。
そして、留学先は『はむ家』で身元引き受け人は俺・・・・・
「はむさんのサインとハンコが文科省に認められればメッチャおかしいですよねー」とかふざけたことを言ってお気楽をかましている。
その文科省の制度が・・・・・・・・・これだ!!
そして、企画のプレゼンに東京へ行ってくるという。
こいつは絶対にシャバを舐めている。絶対無理だ!!と思いながら見送った9月の夜・・・
しかーし、彼は合格を勝ち取ってきた!そして日本の文科省に認められた台南のゲストハウス『はむ家』がここに存在するのでしたーーー!!
なぜだぁーーーーーーーーーー!!??!!??
俺にはよく理解できない状況に「とりあえず乾杯!」となったわけであります(^-^)/
サブローはゆいちゃんが好き!?

サブロー、ロリコン疑惑^ ^
この件はすでに却下されました。
そんなサブローが『はむ家』に貢献した証

サブロー作「はむ家村」
そんな人たらし満開のサブロー。
いるだけでも場が明るくなり、賑やかになり、人が集まり若者たちが泊まりにくる。そして何かと『はむ家』に気遣いを見せる。
これだけでもかなりの貢献度なのだが、そんな彼が実際形に残るもので貢献したということをここで証明しておきたい。
まずはこの落書き。でもすでに消えちゃった・・・^ ^

クレヨンで描いた壁画^ ^
そして、プロモーションビデオ3連発!!
企画して、ロケして、編集して、映画監督さながら!全てサブローがやりましたよ!!
最初のロケなんて、ゆいちゃんがぐずって大変でしたが、粘り強くロケを続けました。
この時ばかりはフツーに見直してしまいました〜〜〜
俺は見ているだけでしたが・・・・・・^ ^
そして最後に一番重要な「はむ家オリジナルマップ」!!
なのですが、これは公開できません!どうぞ『はむ家』に泊まって入手してくださいね!!
いかがでしょう〜?
彼はやっぱり芸術家肌ですか〜?
俺は彼を孤高の芸術家が本来の姿だと信じて止みません!!
冗談ですが・・・
サブロー、台南での唯一の汚点
そんなサブローも台南に唯一の汚点を残すことになります。
簡単です。居酒屋ではしゃぎすぎて、近所に迷惑をかけて警察を呼ばれるというどこにでもある話です。が、警察が来たのは彼たちが帰ったあと。お店の人が平謝りに謝り、その後お店には「騒ぎすぎるな!」とか「立ちションベンするな!」とか注意書きが掲げられる始末。
その後、そのお店はその場所では相当に肩身が狭かったのか、引越ししてしまいました・・・。
サブロー恐るべし!!

のんきだ、実にのんきだ・・・^ ^
でも東大は無事に卒業できたようです

右側サブロー、左側これまた永遠のヘルパーしもちゃん^ ^
台南の生活にはめてしまったみたいで、すごく心配していたのだけど、卒業式の日にこの写真が送られてきて安堵しました。
なんだか自分まで東大を卒業した気分になったのを覚えています。
それほど彼とはよく関わったのだと思います!
さて、左側の「しもちゃん」。彼も相当なので次回作で触れてみたいと思います。
彼は迷惑でしょうが・・・・・・
おわりに

帰国の時もみんなが見送りに〜^ ^
彼の滞在中に彼の母からメッセージ付きのお土産が送られてきたことがありました。
そのメッセージには、
「ムスコが貴重な体験をさせていただいてありがとうございます。どうかよろしくお願いします。」とありました。
素敵な母だな〜と思いました。
こんな母だからこそ、こんな自由奔放なムスコになれたのだろうな〜と。
俺は中卒。というかろくに通っていませんでした。
そんなものが日本の最高学府の東大生と絡むなんて、本当に人生の妙だし、本当に楽しくて幸せでした。
彼の貢献はいろいろありましたが、創業当初で右往左往する俺を、とにかく幸せな気持ちに導いてくれたこと!これが俺にとっての最高のありがたみでした。
サブローついていろいろ語ってきました。最近はなかなかゆっくりと語り合えておりませんが、彼とはまた人生のどこかで交わることがあるのではないかと強く感じています。
人生に出会いあり!出会いの集積が人生!!出会いに感謝!!!
ではーーー!!